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【2025/10/19 19:25 】 |
少しは絵に対しての価値観がまとまってきた
こんばんわ、マユラです。

今日は雨が振りそうで外に出れない。
さらに洗濯物さえも干せない。
だから家に引きこもる。
そしてcanvas1, 2(ギャルゲー)をする。
これ面白いし、なかなか深い話です。

このゲームは、タイトルからわかるように「絵」がテーマですね。
canvas1, 2両方とも絵に対しての、苦難を乗り越える話です。
1のほうは、絵を利用されることが嫌になって。
2のほうは、絵を描くことの楽しさを忘れてしまう恐れ。

2つの作品とも最終的には、この苦難を乗り越えるんだけど、
このゲームを何度やっても、私の絵に対する苦難は消えない。

「頑張っても無駄」という、現代にありがちな苦難が私には未だある。
大人になってなおさらこの間は強くなった気がする。

だけど、最近少しわかった気がする。
何か努力することで得るものを、結果にこだわりすぎていた気がする。
{行為}が大事なんだということに今更気づいた。

なんでかというと、単純に絵を描いてることが好きだからだ。
 過去を振り返ってみたら、絵を描いたのって、幼稚園まで遡るはず。
 確か、当時なぜかマリオの顔の描き方を覚えていて、
 それで友人たちに描いてあげていた記憶がある。
 また、小学校の頃には、恐竜惑星(アニメ)のヒロインの顔を通信簿に描いたw

ていうことをしていた。今思えば、結構変なこともしてた。
んで、何が言いたいかというと、
「好きなキャラを私の手で描きたいという気持ち」だったはずだ!
この{行為}が大事だって言うことだ。
強迫観念のように結果に縛られていすぎていた。

だから、好きなときに描けばいい。
ゆっくり絵を描いていけばいい。
とはいえ、上手くなりたいから嫌なことやらなきゃあかんけどねw
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【2012/05/02 23:59 】 | 日記 | 有り難いご意見(0)
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